あおのソラ

あおの気持ちをつづります

20歳の私へ。

 あなたは20歳の時に、夢だった保育士になるために保育短大に通っています。

そして21歳の時に無事に保育士免許を取得します。おめでとう。

 

でも、就職ができないといった壁にぶつかります。何故ならあなたは就職する以前に・・住む場所を見つけなければならなかった。

賃貸は保証人や緊急連絡先が必要だという事を知ったあなたは、身寄りがいないという事で、住む場所を確保できなかったんです。

そういった事情のあるあなたは、住み込みで働ける就職先を探していましたね。

小学3年生の頃に掲げた『児童養護施設で働く職員になる!』といったその夢を、一旦保留にして別の仕事を選びます。 そして、独身寮のある病院に看護助手として応募します。 面接官の反応に採用の手ごたえを感じたあなたでしたが、渡された書類を目にした途端、不安にかられます。

身元保証人を記載する欄があったんですね。

でもあの時のあなたを褒めてあげたいです。

 

「施設育ちで身寄りは一人もいません」って正直に伝えましたね。

 

事務長さんは慌ててもっと上の偉い人を呼んできますよ。

物珍しい人を見るかのような視線に、その場を逃げ出したかったのに、よく我慢をしましたね。

でも大丈夫です。あなたは勇気を出して

「誰か一人身元引受人になれる人を見つけてきたら私を雇ってくれますか?」と質問をします。

あなたは、中学を卒業してから6年間、勤労学生として何があっても諦めなかった自分の強みをちゃんとその偉い人に伝えますよ。 身寄りがいなくて、保証人がいなかったというだけで 住む場所すら確保できなかったあなたの切羽詰まった気持ちが、勇気に変わった行動だったことを私は知っています。

そしてあなたは介護の仕事に就くことができました。 病院で勤めたことを機に、介護が天職だと23 歳のときに気づきますよ。 あなたは、これからずっと介護の仕事で生きていこうと自分の道を決めます。

高知県を出て愛知県で働き、そして三重県にいき20年後のあなたは、雪が沢山降る新潟で やっぱり介護を続けています。

生まれてきた理由をいつもいつも考えてきたあなた。

 

20年後のあなたは、その意味が少し分かるようになります。

私は、どんな時も諦めなかった20年前のあなたに焼肉をおごってあげたいです。

あなたの味方は、今も私です。

ありがとう。

 

特技にしちゃいました。

まだ20代のころ、介護とは違う別の仕事も掛け持ちしていたことがあります。そこで、とても性格の悪い女性と出会いました。

新しく入ってきたその女性に、私は仕事を教えるという立場でした。

彼女は私よりずっと年上だったけど、なんだか落ち着きがなく、立ち振る舞いはなぜかキャラをつくっている様な、演じているような、そんな不自然さがありました。その姿に私は違和感がありました・・。入ったばかりの彼女は、私と仲良くしている友人2人に近づきました。近づいたという表現はそのまんま私がそう捉えたからです。私の友人を、AとBと書きますね。

Aは、綺麗ですね。格好いい女性ですね💛と、Bは、かわいいね、おしゃれだね、妹にしたい💛と、そんな風に、彼女は、2人の容姿を褒めて、仲良くなれるキッカケを上手に作っていました。

2人は褒められたことを嬉しそうに私に話してきました。

 

数日たったころに、Aのほうが彼女のことを名前で呼ぶようになりました。

Bは、ご飯に誘われるようになりました。休憩で煙草を一緒に吸いにいく様にもなっていました。

私はというと、いつも3人でいたけれど彼女が来てからは、何故か3人でいるという形にはならず、AとBとは、個別に仲良くしていたって感じです。

 

ある日のこと、彼女が仕事を休みました。その時AもBも彼女から聞いたとされる話を、私にしてきたのです。

 

私のことを色々悪く言っていたという内容でした。そこで、色んな事をでっち上げられている事を知りました。

3人の関係を壊そうとしたのでしょう。私はやっぱり。と呟きました。

2人には華があって、今でいう陽キャなのです。仲良くしている私の立ち位置をきっと彼女は奪いたかったのかもしれません。新しく入った職場での居場所をみつけたかったのかもしれません。でも・・・仲良くしていることも分からないうちから、2人の友人に近づいたので真意はよくわからないままです。2人は、存在感あって目立っていたからかな・・・。

私は、「陥れようとする人は嫌い!」とAとBに話をしました。ずっと我慢していた気持ちに火がついてしまい「そもそも、どうして入ったばかりの環境で、先ず2人に近づいたのか??普通、人は仕事を教わっている相手とコミュニケーションを図ろうとするよね?私は疑問だった。私と彼女とどちらを信じるのかちゃんと見極めてよ。私の悪口をそれぞれ別々の場所で、聞かされているじゃん?AもBもいる場所で話をしたほうが効率いいじゃん。怪しいよ。正確な判断をできなくさせてるよ!」と言葉をぶつけました。

 

結果・・・彼女は色んな悪事がバレてバイトを首になった。私は、有ること無いことを言われて、とても傷ついたから上司に訴えました。

「面接では、しっかり見極めてほしいです」

怒られました。

面接で人なんか見極められるわけねーだろう!って。そりゃそうですよね。

あの時は私も若かったので、許してください。

 

どうして私がこういうことを、書いたのか??

最近もまた、あの頃のように性格が悪いと思える人に出会っているからなんです。

世の中には理解のできない行動をとる彼女のような人がいます。誰かを陥れようとする人がなぜかやっぱり、いくつになってもいるってことです。

だまされる人が悪いのではないです。だます人が悪いのです。

自分の行動は必ず自分に返ってきます。だから、人が離れて何もかも失ってしまう前に、大切な人がいるのならその人にも自分にも恥じない生き方をしたほうが良いです。

正直に本音で生きたほうが人は信用されます。私は結構見抜いていますよ!ってことを言いたいので書いてみました。

守ってもらえなかった過去があるから私は強くなりました。

人を見抜く力も身に付けてきました。

守ってもらうより、人を守れるようなそんな私になりたいです。

おかげさまで、ずっと無かった私の特技を見つけることが出来ました。

私の特技は、[怪しい人がわかります]

 

 

 

 

私は悩みながらもまた明日仕事に行く

立ち上げから、6年と数か月。

葛藤や後悔を経験しながらも、入居してくる方々達ときちんと向きあって、
意識も考え方も能力も、みんなと一緒に成長していけるって確信してきました。

この先の支援を期待できるって思っていました。

現場の職員さんと話をしていると、面白い視点や参考になる意見を

聞けるという楽しさも知りました。

毎日を頑張ってきたつもりです。

そんな中、看護師さんが入れ替わるたびに、それぞれにある主観や価値観に、私自身が振り回されて対立をしたこともありました。だけど、病気に関しては、

高齢者の生活において、付き合っていかなくてはいけません。

頼もしいほどに、私にいろんなことを教えてくれた看護師さんもいました。

質問したら、1つではない沢山の答え(ヒント)を出してくれて、同じ病気でも

色んな経過や考え方があるということも教えてくれました。

そういった看護師さんの意見を取り入れたいと思い、看護師さん達と
意見交換や相談ができるようになって、自分の役割というものをしっかり
自覚できるようになってきました。

ようやく今…皆が仲間になってきている。

離職が落ち着いてきている。体制も整いつつある。

介護という仕事をちゃんとみんなで考えられる。

…そんな、たくさんの可能性が見えてきたと思っていたのに。

そう感じてきた頃、また1人、看護師さんが退職することになりました。

 


私にとって本当に味方になっていてくれてた看護師さん。

 


人が辞めるということは、私にとっても、現場職員にとっても、
利用者さんにとっても、会社が、【その人が持っていた強み】を

失うということだと思います。

誰も、その人の変わりにはなれないのに、正直もういい加減、
疲れてきました。

 


私は、立ち上げ職員なので、今までやめてきた人の全部を覚えています。
先に書いたように、なかには対立した職員もいて、人間関係にも悩まされてきました。

そんな現場を繰り返しみてきたから、仲間になるということにおいて
コミュニケーションに力を入れてきました。

一緒に働いていきたいと思える人材を失うことは本当に痛い。
さすがに、正直こたえています。

人材が不足すると余裕がなくなって、あったはずのルールすら
変わってしまう。
4名でできていたことが3名だとこなせなくなって、それでもやるしかないと
3名での体制を整えても2名になるとまたできなくなり業務を省くだけでは
なくて、入居者の受け入れにも、生活にも大きく関わってくる…。

私が心配していることは、
多分きっと伝わらない…

もうこんなのは嫌だって思っています。

 

私は不幸を感じない!

【何故人は不幸を選ぶのか?】

すごいタイトルをつけてきたな・・と興味をもって、知野吉和さんの研修を受けてきた。

今回この研修を受けるにあたり「あおいさんをイメージした」と言われたりした。どうやら私は「不幸を選択」しそうに見えるらしい。

なんで、人は、そうやって自分ではない誰かを当てはめようとするのかな。

どうして「不幸」という言葉で、私を想像するのだろう?と正直、自分の中で疑問だった。

でも。

実際に講義をきいてみると案外いろんな人に当てはまっていると感じた。

いや、色んな人というより全員だ。決して私だけではない。

無意識レベルの話なんだと思った。

研修に参加した人の中には、他人事と考えて参加を決めた人もいるだろう。

でも、他人事ではなく自分事なんだよね。

私は思わず「うっしっし」って思った。そう、ちのさんがよく使ってる言葉だ。

 

 内容すべてが、生きていく上で、誰にでも起こりえること。

私は自分を不幸とは感じたことがない。

一方で幼少期によく言われていたこと。

[恵まれなかった子]
[可哀想な子]

これは、まぎれもない事実だと思う。大人になった私が思い返しても、恵まれた環境ではなかった。あの時の私は可哀想だったなと思い返すこともあった。

けれど、これらを不幸に感じたことがない。

自分は不幸だと考える余裕があるのは、私からしたら、ある意味幸せなんじゃないのか。

私は、マラソンをしている感覚で生きてきた。[あの角まで][あの角まで]って目的を

定めてはそこに必死に向かって進んでいた。

だから強がってるわけではなく、本当に
不幸が何かなんて考えてこなかった。

傷ついたり立ち止まったり、生きることに疲れて人生をこの手で終わりにしたいと

思ったこともあるけれど…。

強がりではなくて、何をもって不幸というのか・・・本当にわからなかった。

 

私は、この研修を受けて、
自分の人生が好転しそうな気がする。

 

みんな何気ない日常会話に本音が見えているよ。

態度に出てしまっているのが、隠せていないんだよ。

不信感も、不安感も、恐怖感もある。弱さが邪魔をして、自由でありたいのに、

そこを選ばない人がいる。

この研修を受けてはっきりと分かった。

 

不幸を選んでしまっているのは、結局は自分自身なんだ。

 

私は、望むことをあまりしてこなかったけど…。

離したくないものがある。絶対人生を良いものにしたい。
強く在りたいと思ったけれど、「生まれてしまえばこっちのもの」

ちのさんはそう言った。この言葉は励みになった。

もっと素直で、自由でわがままでいいんだと言われた気がした。

私はこれから沢山残りの人生を、後悔のない選択をして生きていきます。

これから出来なかったこと、したかったこと我慢した人生の埋め合わせを沢山して

生きたい。

不器用だからこそ楽に生きたい。

私は、いろんな気持ちを敏感に感じやすい。だから多分人が思うより傷ついていたり、悩んでいたりする。誰かにそんな気持ちを感じ取られるのは、らしくないと言われるから苦手だったりする。

仕事における人間関係も、何か引っかかるものがあれば先に進めない。その違和感という引っ掛かりがなんなのか?解消できないと苦しくて立ちどまってしまう。

 

この前、職員さんから『葵さんって裏表がないよね。』と言われた。なぜか色んなところでそういった言葉をかけられる。裏表のある人が多いということなのか・・・。

きっとでも、裏表を持たないと人と付き合うのは難しいって意味なのかもしれない。

 

その職員さんは、ここで人間関係に悩んだ時期があったという。気づいていた。

そういう時はどうするの?と尋ねてみた。

「すごく気にするんです。でも様子をみますね。自分にだけあの人はこうなのかな?他の人にも同じことを言っているのかな?上司がいる前では、何も言わず動くんだな。とか、そんないろんな振る舞いを見た結果、この人はこういう人なんだと距離をおいて割り切るようにしている。」と答えていた。

 

不審に思う相手と割り切った付き合いが出来るということが、私は不得意だから、

〇〇さんの姿勢は、私にとって必要なスキルだと伝えた。

 

私はこの前、ある職員さんに初めて言い放った言葉がある。

「そういう言葉を軽はずみに使う人は好きじゃない!」

嘲笑うといった表現がぴったりと合うほどに不快な気持ちにさせられたからだった。

 

言葉と行動が伴って、初めて人は信用を得ると思っているから。だからこそ、その人の表情や言葉に拒絶反応を示してしまった。

 

「裏表がない」とか「信用度が高い」とか「人を見抜ける」って介護職員さんは褒めてくれるけど、私はただ、本当はもう少し楽に生きたい。

 

私の仕事は、マネジメントだから、人の本音と建て前は見ている。

そうでなければ、なかなか利用者の本心は見抜けない。

辻褄があっているかどうかを、確認しているだけかもしれないけど・・・

 

「あおいさん悩んでいたんだね・・・」と職員さん一言くれた。どこでそう思ったのかはわからないけれど、気づいてもらえることって、救われる。

 

正直私は人を信じていません。でも信じたいから信じる。

それは私の感情であるからこそ、その人を信じたいと思えることで、

傷ついたとしても、傷つき切ることで相手を見抜くこともあると思う。

 

こうして書きたくなったということは、私がちょっと吐き出したかったのかな・・

色んな気持ちを抱えながら、人は生きている。みんなと一緒に成長できたら良いな。

頑張って乗り越えたい。

私が令和を生きられる強さをもちたいと思ったのは長く付き合っていた人と昨年秋にお別れをしたことがきっかけだった。

 

私はめんどくさい女で、人を好きになるとその人を中心に考えてしまう傾向にある。
みっともないんです。毎日会いたいと思うし相手のことをたくさん知りたいと思う。

好きな人の態度に一喜一憂するタイプだ。


今日事務員さんに、「あおいさんは、好きな人ができたら毎日会いたいタイプ?」

と質問された。
そういえば・・・話したことがなかった。


『うん』って答えた。

「意外だった。葵さんは、そんな風に見えなかった」って言われた。

私は、好きな人は特別だと思っているから、あまり相手にしかみせない言動も行動も

人に話すことはなかった。だから、きっとそう思われていても仕方がない・・・。
昔から恋バナというものは苦手だった。

 

事務員さんは「えーじゃあさ、追いメールとかする?」と聞いてきた。
『追いメールってなに?』て聞くと、相手の返信が来る前にメールをまた送ることだと教えてくれた。
私は、『うん』って答えた。

事務員さんは、「私は追いメールはしないかな…メールの返信がないとそれが返事だなと思ってしまう。それで終われば縁がないだけだって思う。終わりならそれでいい」と話していた。

私は、事務員さんをかっこいい女性だなって思った。


『返信を待つ相手にメール送っているのに、返ってこなくて平気なの?』ときくと
「わからないけど、自分がそう思いたいだけかも」と答えていた。

 

私は多分しっかり傷つかないと終われないと思う。傷つき切って終わるんじゃないかな。と話した。
そんなこと言ったら、泣きそうになって涙が出てしまった。
『私は、もしかしたら傷ついていたのかもしれない』って思った。


事務員さんは、「私は女性の味方だよ。なんとか吐き出させてあげたい」って

言ってくれた。

 

私は、生きるために辛いことを、沢山経験してきた。でもそれ以上に恋愛の辛さだけは自分の心を乱したんだよと話をした。
だからもう恋愛はしたくない。傷つきたくない。と話をした。

令和という時代を生きられる自分になりたいと決意したのは
一人で生きられる知恵をつけたかったんだよって今更言ってみた。

私は、頼る人がいなかったからなのか、自分を好きになってくれた相手に依存をしてしまう。みっともないかもしれないけれど、そんな風に生きてきたんだなと思った。

事務員さんに『私、こう見えてもモテるんだよ』って笑って言って
傷ついている自分をごまかした。

これからも苦手なものは何?と聞かれたら、恋愛と答えるだろう・・・。
すこし寂しいブログになってしまったかもしれないけど
こうやって書くことで自分と向き合うこともできる。

私が私を一つだけほめてあげられるとしたら
仕事を頑張っている。

弱さも強さも持ちながら、バランスの取れる生き方ができたらいいな。

 

 

 

人を救える人は強い人

強い人とはどういう人か?
私が思う強さは[判断力]にあると考えます。

判断力って大人になったからといって身につくものではない。
良いこと悪いことの区別ができない人もいる。

労働基準に違反してる人。
交通ルールを守れない人。
嘘をつく人。
いじめを見て見ぬふりをする人。
約束を破る人。
人を見て態度を変える人。人の扱いを雑にする人。

ほらね、周りにそういう人
いませんか?

悪いことだと分かっていても、周りの環境に左右され、結果的に誰かを傷つける人もいる。
コロナ禍ではそれが明らかに見えていた。

そんな時あなたはどんな判断をしていますか?

私は、
どんな状況においても平静で正しい対応や判断ができる人はかっこよくて強い人だって思います。

生きていく道に必要なのは、判断力です。

住む場所も、働く職場も、付き合う友人も、自分の判断で決めてきた。
自分が正しいと感じる決断をしたかった。

その時の気分に惑わされて判断を誤ることもある。失敗も後悔も沢山したこともある。
だからリスクも踏まえた上で選択をするようになった。

自分の着地点を見据えて、先を予測することができる人、そして決断すること、行動すること、タイミングを計れる人、そういう人は判断力に優れています。

正しい判断ができるからこそきっと後悔もない。

私はそういう人が、本当の意味で人を救えるのではないか?と考えます。人を救うためには強くある必要があるから。

私自身、弱い人間だけど‥。自分の判断には責任を持ちたい。判断力を磨いて強く生きていきたいな。