【何故人は不幸を選ぶのか?】
すごいタイトルをつけてきたな・・と興味をもって、知野吉和さんの研修を受けてきた。
今回この研修を受けるにあたり「あおいさんをイメージした」と言われたりした。どうやら私は「不幸を選択」しそうに見えるらしい。
なんで、人は、そうやって自分ではない誰かを当てはめようとするのかな。
どうして「不幸」という言葉で、私を想像するのだろう?と正直、自分の中で疑問だった。
でも。
実際に講義をきいてみると案外いろんな人に当てはまっていると感じた。
いや、色んな人というより全員だ。決して私だけではない。
無意識レベルの話なんだと思った。
研修に参加した人の中には、他人事と考えて参加を決めた人もいるだろう。
でも、他人事ではなく自分事なんだよね。
私は思わず「うっしっし」って思った。そう、ちのさんがよく使ってる言葉だ。
内容すべてが、生きていく上で、誰にでも起こりえること。
私は自分を不幸とは感じたことがない。
一方で幼少期によく言われていたこと。
[恵まれなかった子]
[可哀想な子]
これは、まぎれもない事実だと思う。大人になった私が思い返しても、恵まれた環境ではなかった。あの時の私は可哀想だったなと思い返すこともあった。
けれど、これらを不幸に感じたことがない。
自分は不幸だと考える余裕があるのは、私からしたら、ある意味幸せなんじゃないのか。
私は、マラソンをしている感覚で生きてきた。[あの角まで][あの角まで]って目的を
定めてはそこに必死に向かって進んでいた。
だから強がってるわけではなく、本当に
不幸が何かなんて考えてこなかった。
傷ついたり立ち止まったり、生きることに疲れて人生をこの手で終わりにしたいと
思ったこともあるけれど…。
強がりではなくて、何をもって不幸というのか・・・本当にわからなかった。
私は、この研修を受けて、
自分の人生が好転しそうな気がする。
みんな何気ない日常会話に本音が見えているよ。
態度に出てしまっているのが、隠せていないんだよ。
不信感も、不安感も、恐怖感もある。弱さが邪魔をして、自由でありたいのに、
そこを選ばない人がいる。
この研修を受けてはっきりと分かった。
不幸を選んでしまっているのは、結局は自分自身なんだ。
私は、望むことをあまりしてこなかったけど…。
離したくないものがある。絶対人生を良いものにしたい。
強く在りたいと思ったけれど、「生まれてしまえばこっちのもの」
ちのさんはそう言った。この言葉は励みになった。
もっと素直で、自由でわがままでいいんだと言われた気がした。
私はこれから沢山残りの人生を、後悔のない選択をして生きていきます。
これから出来なかったこと、したかったこと我慢した人生の埋め合わせを沢山して
生きたい。