あおのソラ

あおの気持ちをつづります

仕事は自分の生き方が試される

どんな環境であれ、人は成長することができる。今、私はそう思っています。

 

 

あるとき、私がキッチンでおやつの準備をしていたら、お嬢さんは何をつくっているのー?と利用者さんがそばにきてくれた。

そこへ「ここに入っちゃだめ!」って怒った口調で、険しい顔してスタッフが来た。そして「ちゃんと座っていてください。」と言って利用者さんを席に戻そうとした。

 

『ちゃんとってなに?』

 

部屋にいると「お部屋にこもっていてはだめですよ。」ってフロアに連れ出そうとするのに、フロアに出てきてもらったら、お茶を提供して、飲んでくださいと目の前に置くだけ。フロアはキッチンもあり、テレビもあり、みんなが集って活動できる環境なのに、お風呂とご飯を待つだけの場所にしていませんか?

利用者さんは、自ら立ち上がってそばに来てくれた。興味をもって声をかけてくれた。私は嬉しかったんだよ。なんにもさせないんなら、無理にフロアにお連れすることはない。部屋にいたっていーじゃん。って言いたくなったけど、いったん飲み込んだ。もっと言えば、動くな座っていろ。って感じがあなたは何様だ。と思ったんだけどね。

 

キッチンに来て何が悪いんですか?と聞いたら・・

「包丁があるじゃん!」って言われたw

 

そりゃあるでしょう。キッチンなんだから。

 

「包丁を振り回して他の利用者さんをケガさせたらどーするの?」と私も怒られました。

 

すげーこの人。怪我したらどーするの?ならまだ分かるけれど、他の人を怪我させたらどうするの?って思考なんだ。しかも、振り回すって・・。そんな風に相手を見ているんだ。

 

「包丁って、包丁差しにちゃんと片付けてありますよね?扉を開けてわざわざ包丁を取り出しますかね?それも誰かをケガさせるために・・変なの。」って言いました。職員は何のためにいるのか、声をかけることも見守ることもできる。本人がしたい何かを一緒に考えるのが私たちだよね?本人の強みを探しませんか?と話をした。

 

 

あれから4か月。

 

行動の制限をしたらだめなのか?理由があるならしてもいいでしょう!と私に怒っていた職員も、今は利用者さんの強みをみんなと一緒に考えてくれるようになりました。

最初は、絶望的だった。とんでもないところに来てしまったと毎日眠れなくなりました。本当にいろいろあった。書ききれないくらい。だからこそ、たくさん考えることが出来た。身近なこととして想像しやすい何かで例えることで理解も得られるようになりました。必要だと思うことは伝え続けました。同時に自分の利用者さんへの向き合い方も意識し続けました。利用者さんの話題が増えてきて相談も含めて支援の方向性を決めるために何が大切かをみんなと考えることができて、手探りながら情報共有もうまくいきつつあります。

 

そんな中、変わるを楽しむ勉強会に、職場から4人もスタッフが参加されます。「参加できるように勤務を組んだんだよ」ってリーダーは私に伝えてくれました。学ぼうとしてくれる気持ちが、目の前の利用者さんのためであることに心底嬉しいです。それだけ、課題もあるということだけどね。

内部研修には、正直なところ不満がありました。ネットで資料を印刷して配布する。そして研修を実施した。みたいな形が適当すぎないか‥と思っていて、だけどそれでも忙しい中、ちゃんと実施しようとしているのもわかるから口をだせないこともあった。

だから自分が主催する勉強会に職場の同僚が学びに来てくれること実は一番意味があるんです。嬉しかった。先をみようとしてくれる人が増えて期待が出来ると思えた時にいつも頑張ってよかったって思えるんです。

 

ここにいたら自分がダメになる。と環境のせいに出来ていたら、楽だった。振り返ると、若いころはもっと劣悪な環境に、邪魔をされたこともあった。逃げ出すほうがよっぽど人生が好転するってことも経験をして知っていた。でも私は、プロに近づきたい。仕事は自分の生き方が試されるということを習ってきたからです。置かれた環境でちゃんと正しいと思える仕事をする。

初めに書いたように繰り返すと、どんな環境であれ人は成長することができる。

って今私は、思っています。

 

 

こんな話を焼き肉でも食べながら、たくさん聞いてもらえたら私は幸せです。