あおのソラ

あおの気持ちをつづります

管理者だって守られたい

私は職場を辞めていく管理者を何人もそばで見てきた。だから少し書いてやろうと思う。

 

管理者は孤独だと思う。雇われでありながら、逆らえない立場の上司(経営者)がいる。私たちと同じ従業員だからね。
現場職員は、愚痴を言い合える同僚がいるけれど、
管理者を守れるのは誰なのか?って考えた時に
きっと組織の中で生きていくには、必要なのは仲間なんだよ。って思う。

 

管理者であるという重圧なんかより、人から批判をされることのほうが辛いと思うよ。批判に耐えられるほどそんなに強い人はいない。

 

人ってずるいから、嫌われたくないから、
言い訳もするし、悪いのは自分じゃないんだって、平気で批判の矛先を転換する。そのターゲットになりやすいのが、管理者だったりもするからね。
経営側からも・・・部下からも・・・。
現場だって、上司がいることに逃げて、自分たちを守って欲しいって権利を主張しては、一人の人間を責めるからね。怖いよね。

でも、そう、人って簡単にうらぎるんです。

そんな中で、管理者が自分を守るために、私がお勧めしたいのは
現場職員に守られる管理者を目指す!です。
立場よりも自分という人間を、理解し関わってくれるような関係性をつくれるか。がカギになると思う。

たくさん見てきたからね。現場を思って経営者に意見して
見限られたり、現場に関心を持てずに現場職員に嫌われちゃったり。
経営側に偏りすぎても、現場の思いにどっぷりつかっても、どちらもうまくいかないと思っている。だってどっちも裏切るからね。

時にはぶつかっても揺るぎないものを見せるしかない。
私はそう思っている。そんな自分をちゃんと見せられるかも大事なんじゃないかなって考える。ちゃんと人間関係ができていれば、人は離れない。そう思っている


私は、素直であること。正直であること。一生懸命であること。それだけは自分の心にしっかり持っている。人に嘘をつかないことは勿論だけど、自分の心にも嘘をつかないということを心がけている。
自分に嘘をついたら、それは行動や言動に必ず現れてしまう。本音が見え隠れする。そういう部分をつつきたがる意地悪な人もいるからね。
仲間になってもらえる信用をつくるのは自分の姿勢だと思っている。自分自身がどうしたいかをうまく表現できるかどうかが、結果自分の身を守るということにつながる。

管理者であっても人間なんだから時には弱さも見せたほうがいい。

 

自分は、介護職であり、目の前には介護を必要としている人がいる。自分はどんな立場で仕事をしているのか、それだけを考えられるようになった。

私は、目の前の人の人生に最後まで関わる覚悟をしている。私が一生懸命になっているのは、そこがぶれないでいるからです。
わたしは八方美人にはなれなくて、生き辛い性質だからこそ自分を理解してもらいたいという思いが強い。その理解を得るために一生懸命仕事を頑張ることはぶれちゃいけないのです。そうすることで自分の心も保っています。

私はよく看護師さんと意見がぶつかってきた。
看護師さんのほうが立場は守られやすくて、医療行為ができない介護職のほうがなぜか下にみられてしまう。ケアマネの立ち位置なんて自分がしっかり意思を伝えることで守るしかなかった。

ぶれずに頑張り続けるか、妥協して組織人として生きていくかを考えたとき、やめることを選ぶ人もいる。
ぶれずに頑張って孤独になることもあるだろう。でも仲間がいたら救われることのほうが多い。私は組織の中で頑張るために[現場と仲間になる]ということが一番だと思っています。←知野さんが言っていた。仲間になるというのは、相手の立場に立って思いを共感するということも含まれます。

管理者は孤独だよってことを管理者ではない私が、ちょっと書いてみました。

私は、私の職場の施設長は自分が支えたいと思っています。もちろん守ってもらいたいからね。

 

私が目指す良い女

相手の立場をみて、態度を変える人。人を見て優先順位を決める人。

人は…無意識に自分が有利に働く方向に、行動しているんだな、発する言葉もそうなんだろうなって考えていた。


ただそれが態度として表面化しているのを見ると傷つくこともある。


私は、傷つかないふりをするといった悪い癖がある。
違和感を警戒し、距離をとることで自分を守ってきた。


優しい言葉が相手を傷つけないなんて保証はないよね・・・
その言葉嘘かもしんないし(笑)
態度って本音を隠し切れないよってこっそり見抜いてしまうから
そういう自分は疲れやすい。

 

年を重ねると、丸くなる人もいれば、皮肉っぽくなる人もいる。
皮肉っていうのは、なんだか遠回しに言われるから、『あれ?今のってなんだか
トゲがあったな』って、後味が悪くてモヤっとさせるから、タチが悪いなって思う。

落ち着いている人もいれば、すぐに感情的になる人もいるよね。
その違いって何だろう?マウントなのかな・・・?
自分が有利にっていうより周りの目が気になっているようにも見えるケドね。

 

私は、年を重ねて、いい女になりたい!
友達は少ないです。不器用は自覚している。

でも一度会った人に、また話をしてみたいって思われるくらいの人になりたい。

誰かに好かれるというよりは、興味を持ってもらえることのほうが魅力的だしね。

私にとって理想の人間像に近づけるように頑張りたい。

 

長いものに巻かれるという言葉を知った時

私が病院で看護助手として働いていた頃(20代前半)

病棟の師長さんの教えに
「長いものに撒かれろ。自分達は兵隊だ!」
という言葉があった。

師長さんはいつも総師長さんと話した後、不満を言っては、私たちにそのセリフを使っていた。

兵隊の例えは、雇われである以上、従ってれば良いというイメージを持てたけれど

[長いものに巻かれる]
という言葉が、どんな状態でいることなのか? 
私には少し分かりにくかった。

そんな時、「長いものに巻かれてるよね~」と色々な人から、声をかけられ、誉められ、上司の評価も高い男性看護師が私の病棟に配属されてきた。

当時は男性の看護職員は少なかったのもあり、彼はいわゆるイケメンだったので、よくモテて女性職員からは可愛いがられていた。

[長いものに巻かれる]
この職員を参考にしたら、
私はここでやっていけるんだ。
住む場所を失うこともなく働き続けられる。世の中を上手く渡れるんだ、と考えていた。

でも……

彼は嘘つきだった。
自分の失敗は上手く隠して
助手さんに罪をなすりつけていた。

必要とされている人が資格も経験もない立場の弱い助手さんのせいにしてうまく立ち振舞う。

その行為は、失敗の度合いにもよるけど、私は、納得のいくものではなかった。
だけど失敗をかぶったから優しくされた。役にたてた。そんな風に感じ、さほど苦に感じない助手さんもいた。

でもある日

病室へ食事介助に入ったその男性は、患者さんの食事を
ムシャムシャ勢いよく食べていた。患者さんはベッドで寝ていた。

「何してるんですか?○○さんのご飯だよ!」

見られた私に、罰が悪そうに言葉を返してきた。
「食べて良いと言われた。」

私には、ありえない場面だった。

この人は(患者さん)、何を食べるの?

看護師さんが、患者さんのご飯を食べるなんて私には考えられないことだった。介助を必要としている人の目の前で自分のお腹を満たしている。
許せなかった。


上司へのおだても気遣いも
長いものに巻かれる生き方を参考にしたいと思えた人は、裏ではこんなことしてたんだ。

こんな人になりたくないと思った。

長いものに巻かれる見本とした人は、私にとって模範にもならなくて、あの時は[長いものに巻かれる]という言葉そのものが嫌になった。


自分が幸せを感じる為には本音で生きたいと思うからどのみち私には、難しいだろうなって感じている。


私は漫画を読むのが大好きで一時期ハマった韓国の漫画がある。
過去の記憶を持ったまま、また自分に転生するといったお話しだ。


同じ失敗をしないように、
起こるであろうリスクに備える為の知識や技術を習得し、生きる道を変えるのではなく
同じ道を賢く善く生きてく。そんな話だった。

単に生きるのではない。

私が、もし、生まれ変わったらまた私になりたいと思う。
出来ればまた児童養護施設で育つ人生を選びたい。

沢山勉強して知恵をつけて困らない生き方を習得したい。
そしてまた福祉の仕事に携わりたい。と考えています。

私は生き方が下手だと実感している。


嫌な態度や場面に遭遇したときに、人の弱さというか、汚い部分がみえて…その心は、愚かさが見えて
私を傷つける。


だから、私は知恵をつけたいと思えた。
虐めに対しても見てみぬ振りは同罪だと思います‥

長いものに巻かれる生き方が上手く世の中を渡れるコツであっても、私は、私の本音を貫いて世の中を生きれるようになりたい。

私がラーメンを好きになったワケ

私は昨夜、博多豚骨味のカップラーメンを食べていた。

豚骨ラーメンに出会ったのは20代後半。

あの時の味は衝撃だったな(*˘︶˘*).。.:*♡


当時勤めていた職場に行くと、新しくラーメン屋がオープンして、行列が出来ていると噂を耳にした。あんまりラーメンには興味は無かったけれど

本場の博多ラーメンの味で、煮卵は限定〇〇個。並ばないと先着順だから品切れしちゃんだよってみんなは、話していた。

私はラーメンに並ぶのは嫌だなと思いながらも友人に誘われるまま食べに行った。

食べたらびっくり!あまりに美味しくて感動しそれから豚骨ラーメンが好きになったもん。[バリカタ]とか[替え玉]って言葉も、そこで覚えたし。

 

1年ほど経って、またあの味を食べたいなって思いお店に行った。

お店に入ると、アルバイトの女の子が私に駆け寄って「葵ちゃん」って呼びかけてくれた。

『え?だれ・・・』

一瞬、誰だか分からなかった。ラーメン屋さんの制服は、頭にタオルを巻いているから、前髪が全部隠れていて、誰だか分かんなかった。

見えてる額は汗がびっしょりだった。

でも大きな眼が「あ、○○ちゃんだ!」って気付かせてくれた。「元気ー?」って再会を喜び合う間もなくいきなり

「葵ちゃん今働いてる?ここで働かない?お願いお願い。私を助けて!」って懇願された。 


『忙しいのかな…行列ができる美味しいラーメン屋さんだからきっと休めないんだな。バイトも〇〇ちゃん1人みたいだし、手伝いをすると美味しいラーメン食べられるのかな‥』と想像しながら…私は答えた。「働いているから仕事が終わって夜なら時々、配膳や片づけを手伝えるよ」

すると彼女はこう言った。「ここでバイトして!お願い。店長が凄いむかつくの。私辞めるからお願い。代わりに働いて」まさかそんな言葉が返って来るとは思わなかった。 

『どうして自分が嫌でやめたいと思うお店に、私を身代わりとして考えるんだろう。店長がむかつくって、いったい店長はどんな人なの?』って考えながら 私はをチラッとだけ店長をみた。不機嫌にしている様子もなければ、笑顔でもない。

2人は険悪なのかな・・・ 

彼女は私が知る中では、社会を上手く渡れるタイプで、誰かと揉め事を起こすような子ではない。眼がクリっと大きくて男性からはモテるし友達も多い感じだった。だから何処に行っても可愛がられるだろうなという印象を抱いていた。だから店長のことをむかつくって、よほどなんだろうなって思った。

「店長さん、そんなに嫌な男の人なの?何かあったの?」と尋ねた。

 答えを聞く前に、彼女は他のテーブルのお会計にいっちゃってその後は忙しくしていて何にも聞けなかった。


あの頃の私は、友人に何かを頼まれると、いつも断れない性格をしていた。

断る理由がないと、断り方がわからないのに、相手は傷つくんじゃないかな。可哀想だなって考えてしまうそんな自分だった。だからよく高い化粧品とか、興味もないものをお勧めされるまま、買うこともあった。

だからこの時も、店長がそんなにムカつくんなら後のバイトが決まらなくても辞めたら良いのにって思いながら、なんて答えようって考えていた。

結局何も言えないまま帰ってきた。連絡がきたらどうしようって悩み、そしてもやもやしながら数日が過ぎた。結果連絡は来なかったけどあれから何年もたって『これだ!』と言えるセリフを見つけられた。私の中ではラーメン屋では働かないと言える正当な理由だ。


私は、[前髪は顔の印象を決める]って思っているくらい大事にしている。

額に前髪は、絶対かかっていたい。だから、前髪を上げるのはちょっと避けたい。だから働かない!そう言えば良かったんだ。ってスッキリしていた。昨夜の夜勤でラーメンを食べながらそんな過去を思い出したのでブログに書いてみました。


あれから私は豚骨ラーメンを食べに行くことなく今に至っている。 

私はいつか本場の博多で豚骨ラーメンを食べたい。美味しい物は心を満たすからね。


嫌だと思う職場に自分の友達を紹介したら良くないよ…美味しいお店には何か闇があるんだろうか…なんて色々考えちゃったし…何より私も嫌な思いをするかもしれないよ。 ってあの時、彼女に言えたら良かったな。でも『葵ちゃんなら大丈夫』って思われていたんだろうか…

何はともあれ、「店長ムカつく」って言っていた友達が働くあのお店の味があったから、私はラーメン🍜を好きになりましたよ•͈౿•͈ 

新潟県と言えば生姜醤油ラーメン🍜です。これもまたクセになるので食べたことが無い人はいつか食べに来てね💕 

 

 

 

 

 

 

 

考えるということは向き合うということ

以前勤めていた介護施設で、
「帰らせてくれ!」って
何度も訴える認知症のお爺さんがいました。

私が様子を見に行くと、現場職員さんは
「1人では帰れないので、息子さん(娘さん)に
電話で相談してみましょう」
そう言って優しく対応していました。

ご家族と受話器越しに会話をした事で、お爺さんの気持ちは前向きに変わり、『ここでお世話になろうかな』と安心出来る笑顔をみせてくれました。

その日から、職員さんは「帰りたい」の訴えに対し電話をかけるといった同じ対応を取り始めました。


認知症に気付かず、行動心理症状が表れてから
施設入居に繋がるケースは少なくありません。
現場職員さんが戸惑う気持ちは理解できます。

施設では沢山の入居者を限られた職員で見ている為、その方だけに付きっきりになる。という事は出来ないですよね…

本人にとって困っていることの解決はしてあげたいけど、行動心理症状への対応は、難しい…。
だから成功した場面から、対応が統一化されていくというのは[現場あるある]だと思っています。

でも少し、『これで良いのかな…。言葉のかけ方(対応)が標準化されることで、セリフになってしまっていくのではないか…』と心配もありました。


数日たったある日、また「帰らせてくれ!」と
訴えがありました。
職員さんは、いつもと同じ対応を取りました。
様子を見に行くとちょうど電話を切った後でした。

お爺さんは「息子(娘)に嫌われてしまった」って言って自分を責めて、嘆く様な声をだしていました。

どんなやり取りがあったのかは想像出来ました。

あの時のお爺さんの悲し気な表情が、目に焼き付いて頭から離れませんでした。

「帰りたい」と焦って訴える姿より
「家族に嫌われた」と話す姿の方が
悲痛な叫びの様で、胸がしめつけられたからです。

見捨てられたかもしれない心境は
分かるつもりです。

帰りたいのは、家族に嫌われないように家で家族のために何かをしたかったのかもしれませんよね…
本心が何を求めているのか…
考えることを止めてしまえば誰も幸せになんてなれない…
目の前の人に悲しい表情をさせてしまうのは私たちだったかもしれないという事を、振り返っていました。


あの時…お爺さんが言っていた言葉…

「迷子になっても良い!」
「どんなに遠くても歩ける!」
「事故にあっても良い!」

この強い気持ちは、誰も否定できるものでは無いと思っています。

叶えたい願いに手が届くならリスクなんてどうでも良い…(`・・。´)私もそんな思いを抱えたことがあるから同じでした。


何を大事にし、今をどう生きるかを一緒に考えていける立場にあるのは、私達支援者です。だからどんなに大変でも難しくても、私達は、考え続けていかないといけません。

自分に不甲斐なさを感じた時に、お爺さんやお婆さんの顔がパっと出て来てしまうのは、今の自分と重なりあう何かがあるのかもしれません。
色んな事を振り返りながら
生きる上で大切なことは見失わないように
頑張っていきたいと思っています。

お引越し

新潟にきて6年。

6年住んだアパートから職場がある[新潟県長岡市]という場所にお引っ越しをした。
小千谷市]に来たときは、沢山の人から
「何でこんな雪の降る大変なところにきたの?」と
驚かれたけど、私は南国育ちだから、
雪が大変なんてイメージは新潟に来るまで
持てなかった。

小千谷市には、県外から移住する人に、家賃を
補助する制度がある。
2年間のその制度に乗っかり、得をしたいなって
それだけで小千谷市への移住を選んだ。

私は、寮生活が長かったり
会社の上司がもつ物件を借りたりして、
自分が好むアパートにはこれまで住んだことがない。

身寄りがいないとどうしても住む場所も限られてきた。

新しいアパートは、保証人を立てられなくても
保証会社さんとの契約で借りられた。
不動産も身寄りが無いことに
あれこれ突っ込まないし、
親身になってくれて優しかった。

キッチンが広い・職場が近い・綺麗

この3つが、私が望む条件を満たしてくれた。

新しいアパートは快適で
私にとってはお城のようです。


朝ごはんをゆっくり食べられることも、
お弁当を作る手間も楽しみに感じ、
更に- ̗̀(๑ᵔ⌔ᵔ๑)優雅にコーヒーまで飲んだりしてる。
時間に余裕があるというのは嬉しいですね。

通勤中にお腹が痛くなって
トイレの心配しながら片道40分通うこともなくなった。

ちょっとQOLが上がった気がします。
早起きなのは変わらない。

これから、もっと幸せに暮らせますよーに。

条件より本音で生きたい

私は、苦労をしないことより、努力の先にある可能性を信じたいから

[苦労をしなくていい楽に生きられる条件]より
[リスクがあるけど、自分が望んでいる本音]を選んできました。

そうやって自分で決めて生きてきました。

施設に相談に来られるお客様の中には、
施設入所のメリットがわかっていても
今ある生活を守りたいから頑張っている方もいます。

そういう言葉を聞くと、自分の気持ちと重なることがあります。

その人の[本音]に気づいてあげられなければ、施設入所は決して良い[条件]にはならないと感じています。

私は、人から与えられる[条件]より、自分が望む[本音]を分かってくれる人を頼りたい。

利用者さんに対してもそうでありたいな。