あおのソラ

あおの気持ちをつづります

ふと途切れたあとにのこるもの

5つ葉だよ。


利用者さんが見つけてくれた5つ葉のクローバー。4つ葉よりずっとレアなんだって。
願いなんて特に持たないと思っていた私が、今はただただ、切に願うことがある。
願いごとというのは叶うものなのか分からない。叶えたい気持ちが届くように、可能性を信じてきただけだった。

 

少しだけ、誰とも関わらずに過ごしたい日がある。元気?と聞かれたら「元気ですよ」ってちゃんと答えるけど、元気なんていらないから、1人になりたい、遮断したい。とやさぐれる日もある。とは言え‥‥そういうわけにもいかない。

やるべきことは日々ある。

 

任されることは学ぶことだった。挑戦の中で人は覚えていくし、未熟さは経験で変わっていく。賢さは最初からあるものじゃなく、育つものだと自分に言い聞かせて、とりあえず今日を過ごしてみるしかない。


朝ごはんは、タコさんウィンナーのはずが足の数を間違えた。
卵焼きと、差し入れのイチゴ、野菜を一品添えたら、あとは、味噌汁とご飯で完成。
タコの足の本数は間違えたけれど、小さな笑いや何気ない優しさは、ちゃんと大事にしていたいと思うのは変わらない。

 

寄り添う10分

夕食後、寝間着に着替えるはずのお爺さんが、なぜか上着を羽織った。

「え、これから外に出るの?」と思わず声をかける。

まだ食事が終わっていない方もいて、介助が必要だったため、付き添えないこと、そしてその場を離れられないことを伝えると、お爺さんは穏やかに言った。

「俺にそんなに頑張って仕事しなくていいよ。そちらの方にご飯食べさせていて。」

そう言うと、そのままホームの外へと歩いていってしまった。目的はわかっている。

四つ葉のクローバーを探しに行くのが、その方の日課だった。以前には、六つ葉を見つけたこともあるという。

夕食の片付けや介助の段取りが頭をよぎる一方で、「今、外に出たい」という気持ちはすでに動き出していた。お爺さんの「四つ葉を探したい」という気持ちを止めるのは、このときは無理だと思った。それでも私は、1人で外に出ていかれることへの心配が勝ち、残ってくれていた他のスタッフに介助を託し、一緒に四つ葉を探すことにした。

たくさんのクローバーの葉を、慣れた手つきでかき分けていく。

「難しいからこそ探したいんだ。自分の仕事だと思っている。」           

そう語る姿には、ただの遊びや散歩というよりも、どこか自分の役割を果たしているような強さがあった。「四葉のクローバーを見つけたら何か叶えたい願いがあるのですか?」と尋ねると、「何もない」と静かに返ってきた。

「ほら、あった」そう言って、お爺さんが小さな葉を私に渡してくれた。

葉が4枚ある!ほんとに見つけてくれた。

そして満足したように、そそくさとホームへ戻っていった。私も、後ろを追いかけるようにホームに戻り、待機していた職員を含め、利用者さんたちに見つけてくれた四つ葉を見せて回った。「押し花にして栞にしよう。〇〇さんが見つけて私にくれたんだ」と、自慢するように話していたら、お爺さんの表情が、さっきまでの穏やかな落ち着きとは違い、とびきりの笑顔と誇らしさに満ちていた。

その後、お爺さんは寝間着に着替え、その夜はぐっすりと眠った。

四つ葉のクローバーを見つけたのは、時間にすると10分ほどのことだった。けれど、そのわずかな時間ですら、介助があるからと、今は付き添えない。と思ってしまった自分に、あとから反省した。陽気のいい時間は、夕食時のほんの短いひとときだったかもしれない…。その時間に一緒にクローバーを探したことは、不思議とこちらの心も軽くしてくれた。

自宅での自由な暮らしではないからこそ、こんな一日があってもいいのかもしれない。そういう時間があるからこそ、満足を感じられるのかもしれない。

 

夢なのにやけに現実みたいだった

最近、変な夢ばかり見る。

この前はクマに遭遇する夢だった。
どこかわからない場所で、ギコギコと音を立てる扉と壁の間に体を挟めるようにして、息を潜めて隠れていた。ここで一生を終えるのかもしれない、と覚悟していた。

でも、以前クマの出没ニュースが話題になったときに、「葵ちゃんの人生を考えると、クマに襲われて終わるなんてことはないよ」と言われた言葉を思い出した。夢の中で、必死に踏ん張っていた。

やがて気配がなくなり、飛び出して車に乗り込んだ。そして「クマがいるよ!」と叫びながら周りに知らせ、近くの小学校に駆け込んで、みんなに「鍵をかけて!」と伝えていた。

あの緊張感は、目が覚めてからもしばらく残っていた。
夢なのに、やけに現実みたいだった。

もう少し、穏やかな夢が見たい

触れるということをもう一度考えた一冊

 

介護技術の基本ぜんぶ]を読みました。
とても読みやすくて、導入部分から『山崎さんらしいな…』と思いながら読み始めました。

みなさん、小口に描かれたイラストには気づきましたか?
思わずほっこりしてしまいました。

介護が必要になった要因のひとつに「社会からの孤立」が挙げられていたことも印象的でした。

そして、
私たちは仕事柄、人の身体に「触れること」が当たり前になっているけれど、
そもそも他人に触れること、触れられることは普通ではないことを忘れてはいけません。p43
その一文に、はっとさせられました。

車椅子を押すときの意識。
短距離でも「歩くこと」を大切にすること。
入浴前の水分補給(1回の入浴で失われる水分量について)。

どれも「分かっているつもり」で見落としがちなことばかりで、何度も立ち止まって考えさせられました。

耳・鼻・爪のケア、靴の大切さまで丁寧に触れられていて、
この一冊を手にして「読んで良かった」と思う介護職の方はきっと多いだろうなと感じます。

 

番外編も、個人的にお気に入りです。

そして何より、
目の前の利用者さんを元気にするからね。
そんな気持ちになれる一冊でした。

みんなと共有するために職場に持っていったところ、夜勤明けの職員さんはその場で読み終えてから帰宅していたよ。準備の大切さに意識が向いたと話してくれてました。

個人的に購入したいと、本をスマホでパシャリと撮って帰ったスタッフもいました。

 

他のみんなからの感想も楽しみです。

日常の小さな繋がりがつくる地域共生

最近、私はふと気づきました。地域共生とは、ただ地域のイベントに参加することではない、と。顔を合わせるだけでは、参加している気持ちにはなれても、本当の助け合いにはつながらないのです。

顔見知りになり、お互いを理解し合い、少しずつ信頼を積み重ねること。それが、助け合いの土台になるのだと思います。

私は2か月前、この地域に引っ越してきたばかりでした。頼れる人はまだ2人しかいません。孤独を感じながらも、外の世界とつながろうと、ふと見つけた居酒屋に通い始めました。通っているうちに、「あ、この人はいつも同じ時間に来るな」と思える人ができ、やがて連絡先を交換するまでになりました。

この経験からわかったのは、助け合いは遠い理想ではなく、日常の中のほんの少しの勇気や行動から生まれるということです。挨拶や会話、気遣いの積み重ねが、やがて困ったときに手を差し伸べ合う関係になるのです。

人は孤独では生きられません。

私のように引っ越してきたばかりの人も、日常生活の中で頼れる人が必要です。

地域共生は、そうした「助けてもらいたい気持ち」と「助けたい気持ち」をつなぐ関係を生みます。

居酒屋での体験のように、日常の何気ない接点から信頼関係まではいかなくても、関係は芽生えます。小さなつながりこそが助け合いの基盤なのだと、思います。

そして、この小さなつながりは、高齢者や介護が必要な人の生活を支えることにもつながります。地域共生が広がることで、孤独や困難に直面している人に、自然と助けの手が届く社会ができます。ちょっとした関わりが、その人の生活を大きく変えると思いたい私です。

 

私を支えた三つの土台

寝起き焼き肉💛

身寄りのない私です。
養護施設で育ちました。

「どうして道を外れなかったの?」

そう聞かれることは、少なくありません。

特別に強かったわけではありません。
人より覚悟はあったかもしれない。

ただ、私は
住む場所」があり、
学ぶ場所」があり、
働く未来」へつながる道がありました。

この三つは、当たり前のようでいて、人生の土台です。

安心して眠れる場所。
学び続けられる環境。
自分にも役割があると思える働く場。

もしこの一つでも欠けていたら。
土台が崩れていたとしたら。

私は非行に走っていたかもしれない。
孤立の中で踏みとどまれるほど、人は単純ではない。

そして、私には夢がありました。

保育士の資格を取得することを目指していました。

夢は「生きたい」と等しい。

ただ、それだけ。

けれど、生きるためには
働き、お金を得るという現実もあります。

安心して暮らすことも、
学び続けることも、
未来を選ぶことも、
そのための資源があってこそ成り立つ。

そう思えたことも、
私が踏みとどまれた理由の一つだったのかもしれません。

人を守るのは、性格でも根性でもなく、
支え続けられる「環境」なのだと思うのです。

そしてもう一つ。
その環境の中には、必ず人がいました。

一人の存在として見てくれる誰か。

制度が土台をつくり、
人が孤立を防ぐ。

私は、その両方に守られてきました。

制度のはざまは誰が救うのか?

それは、きっと「人」を見ている人の手です。

だから今度は、
私がその環境を届けられる人でありたい。

一歩を踏み出せない誰かの、一歩踏み出すきっかけになりたいです。

嘘も方便の日

このグラスは数年前に割れてしまった。でもアルバムに残っていたw

昨日は、少しだけ悩んだ日。

以前、体調が心配で気分がすぐれない日があった。それでも予定していた約束があり、正直、行きたくないなと思っていた。

そのとき「具合が悪いって言って断ればいいよ」と声をかけてもらった。

でも私は、
「気持ちが乗らないだけで、本当に具合が悪いわけじゃないから嘘はつけないな」
と答えた。

するとその人は笑って、「葵さんらしいけど、嘘も方便だよ」と言ってくれた。

昨日…その言葉を、ふと思い出す出来事があった。

 

嘘をついてしまった、というより
少しごまかしてしまった、というほうが近いのかもしれない。

別にいいじゃん、と思う自分もいる。
ただ、その場を穏やかにやり過ごしたかっただけ。

騒ぎ立てられることが目に浮かんで、
それなら静かに収めたほうがいいと思えた。
それだけのこと。

正直でいたい自分のほうが強い気もする。でも、波風を立てない方法を選ぶことも、
人と関わる中では大事なことなのかもしれない。

全部を知りたくなる人って、少し不安が強いのかもしれないなと思うことがある。
取り残されてしまうような気持ちになるのかもしれない。

私なら、任せてしまうほうが楽だけど、それぞれの安心の形があるのだと思う。

本当のことをすべて言うことだけが正しさではなくて、
その場を穏やかに過ごすための選択もあるのだと思う。

少し胸に残るものはあるけれど、
それもきっと、人と関わっているからこそ生まれる感情なのだろう。

何はともあれ、
一つ一つ、少しずつでも良い方向に向かっていきますように。