あおのソラ

あおの気持ちをつづります

○○に負けるな!

看取り期では、ご家族は本人に付き添って施設で寝泊まりすることがある。

本人のそばにご家族がいると、介護職員は安心すると同時に、家族がいるからと訪室をためらっている人もいた。理由は二つだろう。

24時間自分たちのケアをそばで見られるということ。本人の横で常にその家族が付き添っているのだから、自分たちのケアを見られるということに施設職員は慣れていない。

もう一つは、付き添っている家族にも、疲労がある。夜中の巡視のたびにノックで目を覚まさせてしまったらどうしよう。という遠慮がある。もっと言えば、何か気遣う言葉をかけなくてはいけないって思っている。更には『おばあちゃん1週間もちますか?』なんて分からない質問をうけることもある。そういったことから苦手意識を持つ職員も多かった。

 

私は、家族によく言われてきた言葉がある。

『おばあちゃん田中さんの言葉には返事をしているんだね」

『おばあちゃん田中さんが来たら表情も反応も良いんだよね。」

 

これは、あんまり嬉しいことではなかった。

そう、私だから。ではないんです。

 

先に書いたように介護職員が訪室をためらっていたから。なんだよね。

本来自分たちがしている仕事を見られることに慣れていないから自信がない。

家族がいると緊張してしまって普段通りの声掛けができていない。

誰が入る?と譲り合っていることもあった。

 

私は、みんなの関りを見てもらうと良い。きっと家族も喜ぶよ。って言ってきていた。

本人のことをよくわかっている職員がいる。というという事をちゃんと知ってもらいたかった。

最初は、『えー。」とか『でも・・」と消極的だった。

この人は耳が遠いということ、どちらから声を掛けたらよいのか?どういう問いかけならわかりやすいか?どんな言葉に返答が返ってくるのか?そして、この人が、笑う時、喜ぶ時、手を握りかえす時、そういったタイミングも介護職員は知ってくれている。勿論、本人が、こちらの問いかけに応えようと頑張ってくれているのかもしれない。だからこそ、私たちは、その声掛けを工夫する必要があったよね。こういう問いかけには、返事ができるんだよ。まだ喋れるんだよ。ってことを、わかってきた自分たちだからこそ、家族に伝えられるんだよ。本人も家族も嬉しいと思うし、自分たちも介護職として自信が持てるじゃん!って話していた。

まあ、すぐには、変化は見られなかったし、たぶん、なかなか伝わらなかったけどね・・・。

それがやっぱり変わってきたのは、もっと出来る事があったのかもしれない!こうしてあげればよかった!という振り返りを重ねてきたからなのかもしれない。後悔の残る支援があったという経験も、考えるきっかけになったのだと思う。

 

今は、訪室することをためらう職員はいなくなり、看取りを怖がることなく、しっかりと向き合ってくれている。

 

介護職はすごいんだよって思っている。現場にずっと入らざるを得ない環境を強いられてきたケアマネだから見てきたものがある。だから言える。

「大丈夫だよ」という言葉は、誰でもかけられる。でもその言葉を、背中をさすりながら又は、手を握りながら言ってくれる職員がいた。

本人は安心を感じられたのではないか。

「ご家族がきてくれているよ」ってみんなが教えてくれる。でも、この位置で声をかけてあげてください、娘さんの顔がよく見えるから。って家族に伝えてくれた職員がいた。本人はもっと嬉しいだろうね。だって寝ている姿勢だと柵が邪魔していて娘様の顔が見えにくいって思っていたかもしれない。

この人は分かってくれたって喜んでいるかもしれない。

 

こんな風に、本人のことを知っていると、その人の気持ちを想像したいと思えるようになる。安心にかえられる関りをみつけてこそ介護職だと私は思っている。

施設によっては、正直しっかりと関りを持てていない職場もあると思う。自分も施設はいくつか見てきたから。でも一緒に働いてきた介護職員に対しては誇りをもっている。

「身体の向きを変えるね」と言葉をかけても聞こえていなければ返事はできないよね?

体力もおちていく中で、準備ができていないまま体の向きをかえられ、突然目の前の景色がかわるって本人はきっと怖いだろう。私はそういったことをいつも考えてきた。

 

だから必ず名前を呼び掛けて、こちらに気づいてもらう。そのあと問いかける。というのをみんなで意識してきた。簡単に言うと例えば・・・

「○○さん」はい

「わかる? 」○○さん。

「そうだよ。今から少し体の向きを変えるよ。」コクっとうなずく。

「いい?枕を少しずらすよ。」いいよ。

これだけでも、4つの反応があって意思を確認できている。

1つ1つの動作の前に、相手の返事を待って行動に移すということは、看取り期に限った話ではない。日頃から積み重ねていなければ、できることではない。意識をしないとそんな当たり前すら出来なくなる現場を私は見てきていた。私自身意識し続けることが大事なんだって思っています。

 

施設に入っている利用者さんって、私の経験ですが、殆どの人が「ここで最期を迎えたい」っていうんですよね。

自分が最後まで居られる場所がある。ということの安心は大きいんだろうな。

その安心の中に、施設で働く職員がいるという人的環境も含まれているよね。

だから「ここで看取られたい」と言ってもらえるような関りを作れるのは、自分達だよってみんなが言えるといいですよね。

 

私は、誰に看取られたいのかを考えた時、分からないです。いろんな人を看取ってきた中で本人が最後に言葉にしていた人物を考えると、その方が生きてきた人生において、思い出に強く残る人物なのかなっていう気はします・・・。思い出す場面にいる人物っていったほうがいいのかな。

 

介護の専門性は何なのか?の正解は分かりません。私はずっと関りだって言い続けているけどね。それは私の主観だからね。介護職を応援している人がいることを、現場で一生懸命働く職員さんに伝わって欲しいよね。

 

現場の介護職がもっと発表できる場があるといいなって思っています。介護職だから、見てきたこと、わかったこと、関りのエピソードって沢山あると思う。

自分の言葉でちゃんと言える人って、きっと尊敬されるし、頑張っていることも理解されやすくなるのになって思う。

連日届く介護職員さんからのメールにちょっとエールを送りたくなって、書いてみました。○○に負けるな!←好きに当てはめるといいよ(笑)