あおのソラ

あおの気持ちをつづります

尊厳の一歩

仲間内で、足の引っ張り合いをして悪口が蔓延している施設は虐待が起こります。

だってそんな環境で人の幸せなんて考えられる人はいないと思います。

もっと言えば・・・

 

口先だけ立派なことを言って、行動で示さない人。信用に値しませんよね?

 

自分の不機嫌さが出る人。相手を委縮させますよね。

 

人によって態度を変える人。上か下かで人をみてますよね。

 

人の容姿をネタにする人。自分の劣等感をさらけ出している様なものですよね。

 

言い訳を職員にする人。まずは迷惑をかけた相手に謝った方がいいですよ。

 

粗探しする人。誰も得しません。

 

私はこんな風に時々、文字にして怒りを発散したくなる。

誰かを陥れようとする介護施設が身近にあることが情けないです。

 

この間、友人から相談を受けました。

介護現場の人間関係に「もう疲れてしまった」と。

現場を引っ掻き回す人は大体外堀をかためて誰かを標的にして、自分を守ってもらおうとする。一番みっともない。正しいことをしていればそういった行動にはならないはずです。

 

こういう人は介護には向かないって思うけど・・・。いるんだよね、結構。

人の目ばかり気にして、利用者さんのことを見ていないと思います。

 

私は、そういう人を見抜き、苦手とし、距離をおいて、離れてきたけれど。 そういう人たちのおかげで やる気を失う職員がいるということに憤りを感じます。

 

自分の働く施設は大丈夫だと安心しているわけではない。

人は、自分の身を守るために保守的になったり、ぶれたりする。

ぶれてしまったことへの言い訳に、新しい正義をつくったりする。

他人と違う意見を持つのは、責められるような怖さがあって周囲からの評価は、

いわゆる人柄を、肯定したり、否定したもののようなものだ。

組織と言う場所で、自分の思いを貫くというのは難しく介護の世界で、私がこだわっていた部分は、幾度となく打ちひしがれてきた。

どうしてこんな思いをしてまで、まだこだわってしまうんだろう。

そんな風に生き辛さに悩んだこともある。

 

手を差し伸べて欲しかったからだ。諦めてほしくなかったからだ。

結局は自身の過去に答えがあったのだ。

 

だから私は、支援を受ける側に目を向けてもらいたい、味方になってもらいたい。

そう思ってきた。 誰かの世話になるこの負い目は上下関係となって立ちはだかる。

 

行き先を失う不安だったり、不利益が生じる事の理不尽さだったり。

少なくとも、私はそれらを経験してきていた。

そんな、人の救い方もしらない私が、誰かを救うために心がけていたことがある。

 

[手を差し伸べること]と[諦めない]ということ。

どちらもきっと支援者側の強い気持ちや覚悟がいる。

手を差し伸べるという事は、最後まで、手を離さない(見捨てない)約束であった。

諦めないという気持ちは、どんな状況であれ(諦めなくて済むように)考えて欲しいという願いであった。

 

尊厳とはなにか・・・

相手が嫌だといったことを真摯に考えられる人は尊厳の意味をしっかり考えられるのではないか?と思う。 嫌だという意思表示を真摯にとらえれば相手の思いに触れることができるから。 相手の思いをより深く掘り下げることができるから。

 

知野さんが以前何かの研修で 尊厳とは、困らせない・怒らせない・泣かせない。ことといった。 私にはとても分かりやすかった。

尊厳を守るって何か、を聞かれたら この3つを意識することが、不快や不安にさせない、いちばんの仕組みにつながると思えた。

尊厳とは?言語化できる職員が少ない中で介護施設でこれだけは守ろうね、という基準は、自身を正せ、相手の気持ちを守り、ニーズも見えやすくなるのかなと思えた。

 

仲間を大事にできないひとは尊厳の意味を考えることはしないでしょう。

意識をするということから始めてください。私の大切な人たちが苦しまなくて済むようにあなた自身がまず、この3つを守ってください。

 

   ・困らせない

 

   ・怒らせない

 

   ・泣かせない