以前勤めていた介護施設で、
「帰らせてくれ!」って
何度も訴える認知症のお爺さんがいました。
私が様子を見に行くと、現場職員さんは
「1人では帰れないので、息子さん(娘さん)に
電話で相談してみましょう」
そう言って優しく対応していました。
ご家族と受話器越しに会話をした事で、お爺さんの気持ちは前向きに変わり、『ここでお世話になろうかな』と安心出来る笑顔をみせてくれました。
その日から、職員さんは「帰りたい」の訴えに対し電話をかけるといった同じ対応を取り始めました。
認知症に気付かず、行動心理症状が表れてから
施設入居に繋がるケースは少なくありません。
現場職員さんが戸惑う気持ちは理解できます。
施設では沢山の入居者を限られた職員で見ている為、その方だけに付きっきりになる。という事は出来ないですよね…
本人にとって困っていることの解決はしてあげたいけど、行動心理症状への対応は、難しい…。
だから成功した場面から、対応が統一化されていくというのは[現場あるある]だと思っています。
でも少し、『これで良いのかな…。言葉のかけ方(対応)が標準化されることで、セリフになってしまっていくのではないか…』と心配もありました。
数日たったある日、また「帰らせてくれ!」と
訴えがありました。
職員さんは、いつもと同じ対応を取りました。
様子を見に行くとちょうど電話を切った後でした。
お爺さんは「息子(娘)に嫌われてしまった」って言って自分を責めて、嘆く様な声をだしていました。
どんなやり取りがあったのかは想像出来ました。
あの時のお爺さんの悲し気な表情が、目に焼き付いて頭から離れませんでした。
「帰りたい」と焦って訴える姿より
「家族に嫌われた」と話す姿の方が
悲痛な叫びの様で、胸がしめつけられたからです。
見捨てられたかもしれない心境は
分かるつもりです。
帰りたいのは、家族に嫌われないように家で家族のために何かをしたかったのかもしれませんよね…
本心が何を求めているのか…
考えることを止めてしまえば誰も幸せになんてなれない…
目の前の人に悲しい表情をさせてしまうのは私たちだったかもしれないという事を、振り返っていました。
あの時…お爺さんが言っていた言葉…
「迷子になっても良い!」
「どんなに遠くても歩ける!」
「事故にあっても良い!」
この強い気持ちは、誰も否定できるものでは無いと思っています。
叶えたい願いに手が届くならリスクなんてどうでも良い…(`・・。´)私もそんな思いを抱えたことがあるから同じでした。
何を大事にし、今をどう生きるかを一緒に考えていける立場にあるのは、私達支援者です。だからどんなに大変でも難しくても、私達は、考え続けていかないといけません。
自分に不甲斐なさを感じた時に、お爺さんやお婆さんの顔がパっと出て来てしまうのは、今の自分と重なりあう何かがあるのかもしれません。
色んな事を振り返りながら
生きる上で大切なことは見失わないように
頑張っていきたいと思っています。