あおのソラ

あおの気持ちをつづります

心が満たされないままの自立

人が優しい言葉をかける時、どういう時なのか少し分かってきた気がする。

「大丈夫だよ、困った時は頼ってね。一人じゃないよ。」
その言葉には救われた気がした。


でも、本当に困ったときに、助けてくれる人は殆どいません。実際に頼られるとリスクを負いたくないと言った本音が背を向けられて分かった。


頼っていいと言ってくれたのに。そんなものだとわかっていながらも、少し期待した分現実を突きつけられて悲しくなった。

 

時には意に反する交換条件を出されることもあった。目の前で困っている人がいるのに、上下関係が作られてしまう。

自分は生き辛いものを背負っているからこそ、生きるための方法と強みを考えてきた。

 

周囲には信用できる人間だという証拠を示したかった。この子の力になってあげようと思ってもらえるくらいに。

 

だから私は、嘘はつかないし、時間を(約束)守ります。途中で投げ出したり諦めたりはしません。言葉にしたことは行動で示します。

周囲の人にも自分自身にも偽り無く真面目に向き合う姿勢が、私を守ってくれると思えた。

 

支援する側の人へ、みっちり話を聞いてあげてください。できれば2時間くらい。
困りごとだけを解決しようとしてもだめ。困っている時の心境や不安だった気持ちなど・・全部を聞いてあげてください。頑張ったことを吐き出させてあげてください。


もう存分に困って来た。十分に困って来た。きっと悔しくて泣きながら立ち向かったこともあるでしょう。誤解も受けてきたでしょう。その過程は聞かなければ出て来ないでしょう。

大人になって甘えることは難しい。だけど愚痴を聞いてくれた。褒めてもらえた。否定をされなかった。それらを感じる事が出来て初めて人は「信じていい」と甘えることが出来るのではないでしょうか。


依存して何が悪いのだろう。先ずは心を満たしてあげて欲しい。相手が我儘になったとしても受け止めるくらいの思いで。

優しくされたら人は嬉しいものです。甘えてもいいんじゃないか。頼ることを依存と言われる人もいます。


でも、子供時代はきっとみんなが親や家族に依存してきたのではないでしょうか?

そんな当たり前をしてこなかった私は、初めて人に優しくされたら、戸惑いながらも、依存していくのは当たり前じゃないかと反論をしたくなった。

 

なにより、優しい言葉で依存させておいて、相手の弱さが見えた時に
「もっと頑張れ」「甘えたらだめ」「あなたを思って言っている」などは言葉にしてないですか?

その言葉で、卑屈になる事も投げやりになる事もあるかもしれません。注意や説教は逆効果になる事もあります。同じ境遇に立ったことのない人に説教をされたら、心を閉ざすでしょう。希望を失ってしまいます。心が満たされていないまま自立なんてできません。
だから心を開けなくなるんです。

子供であっても高齢者であっても‥。

 

自立を促そうとする前に、目の前の人の心を満たすことを支援者は考えて欲しい。もしかしたら、依存できるものがあってこそ生きやすいのかもしれない。